“Food.Inc.”というドキュメンタリー映画を観ました。アメリカの農業生産の状況を訴えている映画でした。私もアメリカに長年住んでいた上、薄々と感じてはいたものの、こんなにひどい現状とは改めてショックを受けました。国益を考えるときれい事だけではすまされない、という政治家や企業家の意見もありましょうが、本当の国益や人間の幸せを考えると現状を正さないともっともっと世の中が崩れていくような気がします。
日本はまだアメリカよりはマシだとおもうのですが、かつて農業国だった日本も今や危うい現状のような気がします。日本のスーパーやデパートに立ち並ぶ食材はどれもこれも色、形も揃っていて、しかもそれぞれに丁寧にラッピングされています。野菜が機械で作られたようにきちんとしています。見た目には美しい商品ではありますが、それはある意味とても不自然だと思います。農業のあり方が不自然なのではと感じています。私は農業をやっていないので実際農業をやることがどんなに大変か正直わかりません。私は消費者であるただのひとりにすぎません。だけど資本主義国家であるが故に、消費者が世の中を変えて行く力があると思うのです。少しくらいは虫食いがあったり形がゆがんでいてもそれを当たり前の食材として受け入れる消費者側の責任もあるとおもいます。
私たち(昭和30年〜50年代生まれ)は日本の高度成長期に育まれ世の中の『豊かさ』にどっぷりと浸った生活を送ってきました。その私たちが住む世の中は冬でもキュウリやイチゴが食べられるのが当たり前、それが経済大国や成長のシンボルでもあるかのように誇らしげにデパートやスーパーに色とりどりの野菜や果物が立ち並んでいます。異国の食べ物までがなんでも揃います。そしてインターネットでそれらがいつでも手に入ります。しかし、それが本当の意味での豊かさなのか?本当の幸せとは何か?私たちの中にもそれに少しずつ疑問を持ち始める人が増えつつあります。
一流大学を出ても料理すらろくにできない人も多くいる世の中です。高級レストランで食事をすることがある意味ステイタスとみなされるようになって、しかも仕事や社交ばかりに専念するようになり自分で料理をする人が少なくなりました。今は世の中が不景気になって高級レストランで食事をする人も少なくなりましたが、かといって自分で経済的な食事を作る術は持たず、コンビニのお弁当に頼ってしまう人たちが少なくありません。食べ物に関する根本的な感心と知恵がなくなってきているような気がするのです。今や『おにぎり屋』というものまでが存在する世の中になってきました。しかし、そもそもおにぎりなんて自分で焚いたごはんで作るものではないのでしょうか?
『食事は人格を作る』という言葉通り、どんな食べ物を食べるか、それをいかに食べるか、がその人の人格形成に大きく影響しているとおもいます。料理は想像力の原動力にも関わります。
こんな私も生きたニワトリを一匹与えられてそれを絞めて捌け、といわれたらはたと困ります。これから当たり前の事を当たり前にこなし、現代人によって失われた力をすこしずつでも取り戻したいものです。
うちの畑で穫れた気まぐれな赤ピーマン
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