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中学生


中学生を団体で見かけたりするとちょっと悪いと思いながらもじっと観察してしまう。

すでに大人びた顔立ちで放課後に彼氏と連れ添ってしめっぽく歩いている子、まだまだ完全に成長しきれてない野暮ったい間延びした顔の子、中学生はその区別がはっきりする年齢ではないかと思う。

よく、中学の時の同級生と20数年ぶりにばったりあったりするととても驚かれる。

おおっ!(一体、君に何が起ったのか?)とはっきり口に出して言わないものの、アクシデントに出くわしたように度肝を抜かれている様子が自分にも伝わる。(今の自分て、そんなにひどいですかね?)

自分的には15歳の時の自分と今の自分も基本的にあまり変わってないと思うが、イメージが変わったとよく言われる。昔はもうちょっと女のコぽかった。(きっと髪型のせいだとおもう。)

思えば15歳の時には非凡な事が起った。

アンディーウォーホールが『誰でも15分だけ有名になる』と世の中を皮肉ったように、当時は自分の人生の幸運の全てを使い果たしてしまったのではないかと心配するほど驚くようなラッキーな事が続いた。

一度、中間実力テストの成績が県内で一番になったことがあった。自分が通っていた学校は都会にありがちな特別に頭の良い子だけを集めた進学校とかではなく、春先には大概窓際にいるの子のほとんどが校庭で交尾している野良犬たちに気を取られるような、ごく普通のありふれた公立校だった。自分は普段成績は悪くはなかったが、それでも校内でも一番をとることはまずあり得なかった。その時の自分の点数が特別良いわけでもなく、他のみんな、どうしちゃったんだろ?というほど、まったく、『まぐれ一番』としか言いようがなかった。

そして、その年の市の陸上競技会に借り出されて出場した『砲丸投げ』では大会新記録を出してしまった。もちろん、砲丸投げ専門の選手であったわけでもなく、丸い鉄のカタマリを投げる練習を特にした覚えもないが、400Mを走った直後だったから(陸上部でもない子がいろんな種目に出るということ自体、田舎の学校らしい、笑)筋肉が勢いづいていたんだとおもう。スコーン!と自分でも唖然とする距離を投げ飛ばしていた。翌日全校朝会で表彰されて、お陰でその当時はまだバンビのように可愛らしいからだをしていたにもかかわらず、みんなから『怪力女』というレッテルを貼られることになる。以前まで『野生児』と呼ばれていたのが、別に嬉しくもないレベルアップを果たしてしまった。せめて、もっとグラマラスな種目で記録を出したかった。テニスをしていたので腕力には多少自身はあったが、まさか、こんなことになろうとは、、、自分の右腕に八つ当たりしたかった。千円一発掛け勝負で父を腕相撲で負かしてイイ気になっていたのがいけなかったのかもしれない。

自分は思春期になっても学校の体力テストとか120%に挑んでしまうおバカなタチだった。アメリカで一度ドッグレースを観覧した事がある。白い模型でできたウサギを鼻先に走らせてそれを必死で追いかけるドーベルマンたち。そして賭け事をする非情な人間たち。模型だとわかっていながらも(それとも彼らは本気で気づいていないのか?)ウサギを追いかけられずにはいられない犬たちを見てむなしくおもった。自分もこの犬たちと同じなのだと。

不思議とまぐれは続くもので、同じ年にJr.テニス大会で九州チャンピオンとなった。そのおかげで全日本選抜のアメリカテニス合宿へ参加するチャンスを手に入れることになる。はじめてのアメリカは田舎者の少女にとって強烈なインパクトだった。

そして、その後ずっと長い長い年月をアメリカで暮らすことに。

あれから20年以上経った。

回り道の多い人生だったかもしれないが、もし、15歳の時の運が自分に廻ってこなかったら今の自分はなかったかもしれないとフと思うことがある。

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