箸置きをちゃんと使わない人、すっごく気になってしまう。
箸置きがあってもそれを無視してお箸をお皿の上やテーブルの上にばらーんと放り投げてるのを発見すると、たとえ面白い会話中でも自分は顔は笑っていても目が笑っていないような気がする。
こんなスノッブな自分が時々哀れにおもうのだが、『食事のマナーを知らない人、キっ!』的な判断をしてしまう。
しかし。
箸置きの場合は多くの人が『これはいい』とみなした『習慣』で、大袈裟にいえば『文化』なのだが、言ってみれば習慣とは繰り返し繰り返し体で覚えた『癖』のようなものなので、その習慣に慣れてない人をそこでジャッジするのはアンフェアなことだと思う。『習慣』も『癖』も行動としては似たようなパターンなのであって、違いを言えば、多くの人がすること、公共の場で許された行動と見なされたものが『習慣』であって、個人的にいつもやってしまうことが『癖』であろう。
うちにキヌという歌舞伎役者のような目をした猫がいる。この猫は他の二匹と同じ様に捨て猫だった猫なのだが、お母さんを十分に味わえないまま捨てられたのだろう。去勢手術を終えた今でも毛布などふわふわしたものをお母さんと思って手をグーパーグーパーしながら、ちゅっちゅ、ちゅっちゅと吸い始める。隙を与えると私の指や首までもちゅっちゅ、ちゅっちゅとやられてしまう。キュー太郎は同じ環境で育ったキヌの兄弟なのだが『ちゅっちゅ』はやらない。『ちゅっちゅ』はキヌだけの癖なのだ。キヌは神経質で癖が多い猫だ。必ず誰かがトイレに行くとキヌもついてくる。そしてフレッシュな水をトイレから飲んでいる。お風呂のお湯も好きで私が湯船につかっていると、必ずバスタブの上から水をすくっているキヌがいる。(猫って、熱いのダメなんじゃなかったっけ?)
最近、母がキヌの新しい『癖』を発見した。
『キヌはしょっちゅう車の後ろでガソリンをくんくん嗅いでるよ。』
人は『癖』=『クレイジー』だとみなす傾向がある。
最近キヌも母にはシンナー中毒の疑いの目で見られているようだ。
アメリカで『Tourettes』というドキュメンタリー映画を見た事がある。
トゥレットシンドローム、といって、日本語では正式になんと訳したらよいのかわからないが、神経系の障害で、自分の意に反して『罵声』を放ったり、体をねじったりぶるぶるっとふるわせたり、目をぱちぱちっと何回もまばたきしてしまう症状のことを言う。やめようやめようと自分を抑圧すればするほど、『がーっ!』と反対に症状が飛び出てしまうのだそうだ。症状が軽い人はお札を同じ向きに揃えてないと気がすまなかったり、何回も何回も同じ事を言わないと気がすまないような状況にあるそうだ。
その映画に多少影響されたのか、私ももしかして『tourettes』かも?と思うときがある。気にしないと別にいいのだけれど、気にしてしまうと絶対そうしないと気が狂いそう!とおもうことがある。
例えば、横断歩道。『白い部分』しか歩いちゃダメなような気がして白い部分に歩調を合わせるので不自然にも歩幅が大きくなってしまう。
地下鉄の階段を上がる時は前の人との足の順序を一緒に合わせてしまうのも似たような状況だ。
それくらいならまだいいのだが、夜、『さあ、リラックスして寝よう!』と床につくと、とたんに自分の体をぶるぶるっと震わせたくなる。
飛行機の中や電車の中でじっとしている時は突然に膝や手首がもやもやしてしまう。『あー、前の座席をガツーンと蹴飛ばしたらさぞかしスカッとするだろうな』とデンジェラスな考えまでもが頭をよぎってしまうのでトイレに行くふりをして突然立ち上がったりしてしまう。
さてこの『tourettes』とやら、どうやら音楽家、芸術家、スポーツ選手などの天才に多くある症状らしい。
ひょっとしたら私も天才なのかもしれない。
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