今からちょうど5年前、長年の仮住まい生活(それも1年おき引っ越し生活に)ピリオドを打ち、これから自分の城で生活を築く上で新しいベッドを買う時にとても迷った。自分の気に入ったベッドが自分にとってはとても高価なものだったからだ。自分がうじうじ迷っているときに『あんたねえ、毎日使うものこそ贅沢するものよ。』と母がぴしゃりと言ってのけた。母は昔の人だから食べ物やものを粗末にしない。人参の皮や腐れかけのタマネギとかでも工夫しておいしい料理を作れる人だ。捨てることはいつだってできる、と言う母のうちには年代物のワインの代わりに年代物のコルクが引き出しの中にぎっしり詰まっている。その一方、お金は使う時にはけちらずにボン!と気前よく使うことのできる人だ。そんな母の生き様をとても尊敬している。
父は相変わらずあちこちで浮き草のような生活を送っているので母は大概一人で暮らしている。一人で生活していても毎日三食きちんと自分のために料理をし、きちんと器もセッティングして、自分だけのために5、6種類のおかずを作り、お酒も飲みながら、(たまにはワインを一人で一本あけることも)そして気持ちよい音楽を聞きながら優雅に食事している。一人なのによくこんなにできるね、と感心したら『一人で寂しくエサみたいなのを食べるとよけいに悲しくなる』と答えた。本当に骨のある人だとおもう。
向田邦子氏も忙しい生活の上で、気付いたらフライパンのままでご飯を食べていた。これではイカン、と気付きそれから骨董の器や美しいと思う生活雑貨を集めるようになったそうだ。
生活の価値観をどこにどう置くかはひとそれぞれだと思う。
でも自分なりの価値観を持って自分の日常を豊かにすることはその人の器量だとおもっている。
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