軽トラックを勢いよく運び、ソウタさんが袋いっぱいに詰めた茄子をもって来た。
『うちの腐れ茄子ば食べてくれんね。』
いつもながらのソウタさんのお中元である。
もちろん腐れてなんかはおらず、立派に紫色を輝かせた、太って美味しそうな茄子である。おそらく、うちのナスを目にして見るに見られぬ心境と『ほら、ね、やっぱりプロは違うでしょう!』という誇らしげな気持ちで持って来られたに違いない。
うちでもナスを育ててはいるが、『私たち、完全無農薬で育てます!』とカッコよく言い放ったはいいものの、(特に)ナスはみるみるうちに害虫にやられてしまい、葉っぱもなにもレースのカーテンのようになってしまった近所の笑い者である。
ソウタさんは日本一謙遜が激しい方で自分の奥さんも『うちのチャボ』と呼ぶ始末。自分で育てた自慢のみかんも必ず『腐れみかん』と照れながら言って毎年暮れに箱一杯もって来てくれる。
アメリカ人のP子にはこのソウタさんの謙遜ぶりがかなりショッキングだったらしいが、最近は慣れてきたらしく、彼女も『うちのくされキュウリ』などと言って母に届けている。P子は日本人の私よりも胡瓜の床漬けが大好きで、母にブツを渡しては床漬けを貰おうという魂胆ではあるが。
さて、この茄子、どうしよう。
いただいたものを美味しいうちにいただくのが貰った者としての礼儀である。
母は漬け物、焼き茄子、煮浸し。とあれこれとメニューを考えているが、私はナスカレー。暑い夏だからこそ、カレーで汗をかいて暑さを吹き飛ばすというインドの哲学に従う。私は肉もジャガイモも入れない、ただニンニクとタマネギとナスだけのシンプルなカレーが好きだ。そのかわりスパイスはいろいろとたくさん入れる。油でナスを揚げておくとコクがでてさらにおいしい。
小さい頃はカレーが好きではなかった。うちは大人の多い家でこどもを中心に物事を考えてくれるような家庭ではなかった。カレーも大人の好む、とびっきりスパイスの利いたカレーであり、時として粋がってナンとかも作っていた。そんな人たちが私が恋焦がれている黄色く甘い『カレーの王子様』など作ってくれるはずもなく、しかたなく生卵をいれたり牛乳やヨーグルトなどをいれたりして辛さを緩和していが、悲しいかな『カレーの王子様』どころか、カレーとは思えない味になっていた。それでも涙が出る程辛かった。それが今。スパイスの利いたサラッとしたカレーを好むような、なまちゃくな大人になってしまっている。
Kommentare