
一生、手をつけてはならぬ、と心していたものにとうとう手を出してしまった。
『骨董に手をつけると一家を滅ぼす』といういわれを小さい頃から聞かされていたからだ。
『骨董品のコレクター』というと、仕事もせずに昼間っからぶらぶらと骨董品屋をさまよう放蕩息子のようなイメージにも懸念があった。
7年前にThomastonという所で貧乏暮らしをしていたときに見つけたのだが、小さい田舎町にはちょっと不釣り合いな、洗練された 骨董美術店があり、いつもそこを通る度に、よだれをたらしながらショーウィンドウからアンティークを覗いていた。アンティークといっても、ロココ調の猫足のテーブルがあったり、王室で使われていたワイングラスなどがあるようなぎとぎとしたものではなく、素朴ながら気品のある、センスのよい品揃えで、東洋陶器もあれば、中近東、ヨーロッパのものも扱ってあり、古代のものもあれば近代のものもあるような、幅広い分野のものが収集されており、それが不思議と違和感無く一つの空間に収まっていた。けど、やる気があるのかないのか、お店はめったに開けてなかった。
つい最近、久々にThomastonの町を通りかかっていて、そのお店のドアが開いているのを目撃。さっそく中に入った。
店主のロスは静かに本を読んでいた。(ここは骨董品屋にありがちな光景)しかし、ありがたいことに、質問すると親切に対応してくれた。よく、敷居の高そうなお店ではお店の対応も冷たかったりするのだけど、ロスは親切にいろんな話を聞かせてくれた。自分は蓋物に目がいっていたけど、まさか自分が買えるもんではないだろうと思っていて、そんな相手にもロスはショーケースをあけて李朝の香合を触らせてくれた。しっとり、すっぽりと手に納まり、やはり目で見るだけと実際に触ってみるのとはちがうもんですな、だんな、と思った。こうなるともう、どれもこれも触ってみたくなってしまうのが心情というもので、おもちゃ屋さんにいる子供のような態度にならないように自分の心を沈めるのに必死だった。
そんな気持ちを察したのか、ロスがまた別のショーケースをあけてまあるい形の蓋物をみせてくれた。これも何年も前から目星をつけていた品なのだが、実は陶器ではなく、錫でできた蓋物だった。中国の宋の時代のものらしい。1000年前のものを自分が実際に手にすることができるとは!しかも、このアメリカの片隅の小さな田舎町で。その上、ちょっと頑張れば私でも買えるお値段なのです。なにか、間違っている。。。しかも、自分はこれどうやって使おうか、塩か朱肉かな、などと考えている。
ロスの気分が変わる前に、これ、頂きます、といって1000年以上の歴史を経たこの蓋物様を我が家へお連れした。
おまけに、調子に乗ってオランダの白釉のタイル(18世紀末)と、金のスプーン(フランス?17−18世紀)も一緒に連れてこれて、『余は満足ぢゃ』的気分。
もう一息頑張るべきだったか? ガラスのミルク鉢も欲しかったなあ。。。
けど、こうやって一家を滅ぼしていくのだろうか、とやや危険も感じている。

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