『三つ子の魂百まで』という言葉どおり、私もその一例がある。
私が4、5歳の頃、生まれて初めて飛行機に乗って旅をした。
夏休みに八丈島へ父と訪れる事になっていたが、母と姉は家でお留守番。結局7歳上の兄が私の手を引いて名古屋で待っている父と落ち合う事になった。
『ナゴヤ』も『ハチジョージマ』も小さいこどもには理解出来ない存在で、『唐津』以外の所は外国のように感じていた。
こどもだけで旅をしている事にすぐ気付いたスチュワーデスさんがとても親切に私たちを優遇してくれ、飛行機の中でもいろんなおもちゃやジュースなどを運んでくれ特別にもてなしてくれた。ちょうど夕暮れ時に飛行していたらしく、スチュワーデスさんが非常口の窓から見える赤く染まった空をわざわざ私たちだけに披露してくれた。
『ああ、私たちはとうとう地の果てまでゆくのだ。』
急に母が恋しくなった。
今でも飛行機の非常口の前を通るとその時の事を思い出す。
母はまだ字が読めない私の為に洋服の着替えを絵に描いて用意してくれた。
恐竜の絵の付いたTシャツとモスグリーンの半ズボン。シマシマのシャツとカーキ色のパンツ。襟のついたシャツとジーンズ。などなど。ミッキーマウスの刺繍の付いた新品のソックスもこの旅行の為に用意してくれた。
無事ナゴヤに到着した夜。さっそく母が描いてくれた絵を頼りに次の日の用意に取りかかった。が、しかし。『無い!』私が楽しみにしていたミッキーマウスの靴下がどこを捜してもないではないか!絶望と悔しさと悲しさと裏切られた感情が5歳児の胸を突き刺した。兄はとたんにパニックってる私を見て、一体何が起きたのか理解できず、途方に暮れて母に電話をした。電話口で母の声を聞いて悲しさはさらに激しく燃え上がる一方で、涙としゃっくりを連発するだけ。母も何がそんなに悲しいのかしばらくわからなかった。
この『絵の説明書』というのが実は現在でも私にとって重要な役割を果たしている。旅行に行く時は今でも自分で洋服の絵を描いてアレンジしているから可笑しい。幼年時代の経験はかなり強烈なインパクトを私に与えたらしい。
仕事の段取りも全て『絵』で表示する。自分だけにしかわからない下手な絵だが、文字でリストアップするよりも絵で示した方が一目瞭然でわかりやすい。器具や家具の組み立ての説明なども説明書きは読まずに絵を辿ってしまう。なので象形文字から発達した漢字も『読む』ものではなく、形を『見て』理解するものだと勝手に思っている。
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