top of page

トイレ三昧



私のボウコウは猫のより小さいのではないかと思う。自分で言うのもなんだが、図太いようにみえても体は結構繊細に出来ているらしく、一度気にしてしまうと何度も何度も用を足したくなる。人様のお宅にお邪魔するときも辿り着くやいなや『すみません、お手洗いをかしてください。』と駆け込んでしまう。

私の身体はどうやら尿関係のシステムが設計ミスのようで、外出して他の人のお宅を訪ねても、「こんにちは」と挨拶をした直後に「お手洗いをお借りしても良いですか?」というくだりになってしまうことが多い。とてもレディになぞなれる筋ではない。

胸は小さくてもよかったからもっと大きい膀胱が欲しかった。と本気で思う程である。

この調子だと歳老いたらどうなることかと、老後の心配までもが頭を過る。

普段がこんな具合なので旅行中はなおさら激しく心配してしまう。同行者は必ず仰天する。『えっ?また行くの?さっき行ったばかりじゃない!』私だって出来るもんなら行きたかない。私の大好物、コーヒー、ビールが問題なのはわかっちゃいるが、こうもカンタンに反応してしまう、アンビリバボーな自分の体のシステムが腹立たしい。

私は『絶対にゾウのことなんか考えちゃダメよ。』と言われると絶対にゾウのことしか考えられないタチである。『なるべくオシッコの事は考えないようにしよう。』と思えばオシッコの事が気になってしかたない自分が哀しい。

お陰で(?)東南アジアを旅行した時もいろんなトイレ経験が出来た。ベトナムもカンボジアも(高級なホテルやレストランを除けば)『清潔』とは言い難いトイレが通常であった。しかしキレイかどうかを判断する思考回路はブチっと切断し、『用を足す』事だけに集中しなければならない。ハノイのあるカフェでお借りしたトイレを出る時に気付いた事だが、ゴキブリが3匹這い回っており、その一匹はなんと便座にしがみついていた。ゴキブリは1匹見つかれば100匹いると判断するのが常識だ。という事はここのトイレの裏側には300匹ものゴキブリが隠れ潜んでいるわけだ。ひえ〜!

ベトナムの公衆便所ではだいたい30円くらいのお金を払う。汚いわりにはちょっとお高い気もするが交渉する余地も無い。エンゲル係数的に言えば旅行中のトイレ出費もかなりの高額を占めたと思う。

公衆便所の脇には小さいシャワーが付いている。これは足場を洗うためだ。田舎の場合、シャワーの代わりにバケツや瓶に溜めてある水を利用する。汚いわりには細やかな神経が見え隠れしている。

現在では便座式トイレも普及しているが、まだ便器をまたいでかがみ込む方式が主流のようだった。外国人観光客の多いアンコールワットでは便座式の水洗トイレであったが、『便座の上に乗っかってまたがないでください』という標識があった。想像するとおかしな光景だが、ここで初めて便座式トイレを経験する者にとってはとまどいを感じるのかもしれない。そんな私も東南アジアのかがみ式トイレはどちら向きにかがむのが正式なのか知らない。

一番カルチャーショックを受けたのがハノイのレストランのトイレで、そこには2つドア付の付いた個別トイレと一つだけ最初からドアの無い開けっぴろげのトイレがあった。まさか、と思いきや、若いベトナム人の女性がつかつかと立ち寄り、目を泳がせている私たちを前にドアの付いていない方で堂々と用を足すのであった。

そもそもこのトイレをデザインした設計者の意図がわからないが、なぜ2つだけドアを付け、もう一つはドアを付けなかったのか?密閉恐怖症の為の心遣いなのか?

実は私もドアの無いトイレの開放感を知っている。キャンプやハイキング中でやむを得ず、という時ではあるが、このスリリングな味は経験者にしかわかり得ない。

カンボジア、バタンバンからプノンペンへのバスにはトイレが付いていなかった。トイレ休憩は青空広がる野原の真ん中。カンボジアのおばちゃんと連れ沿って用を足す予期せぬ貴重な体験であった。あまり奥深く野原へ入り込むと地雷が待ち受けているかもしれない。恐怖が脳裏をかすめ出来るだけおばちゃんたちとはルートを外さないように心がけた。プライバシーはかろうじて保ったものの、『おお、はらからよ。』と思える距離だった。

横で草を噛んでいた牛がにんまりと笑っているようにさえ感じた。

Comments


bottom of page