私は親譲りの(?)へそ曲がりで多くの人が集まる観光地とかを好まない。それでも生きているうちに一度でいいから訪れたい観光地があった。『アンコールワット』である。大学生のときにスミソニアン博物館でみた仏像で好きだったのがどういう訳かみな、カンボジアのものだった。素朴で柔和で作りすぎない表情が印象に残った。
シェリムアップ空港に着いたのは夜8時半。ダークブルーとはこの色か、とあらためて思わせる深く澄んだ空の下にバナナやヤシの木が繁る。つい最近まで血なまぐさい内戦を繰り広げていたというカンボジア。さぞかし入国手続きは暗くて重い、シリアスなものだろうと、身をこわばらせて挑んだが、$25の入国許可を受ければ拍子抜けするくらいあっけなくカンタンに入国出来た。母が20分もかけて必死で書き上げた税関申告書も受け取る人間がいなかったので結局はドアの横に置いて行く始末。
12月という日本の常識では考えられないようなガツーンとした日差しがのしかかってくる。アンコールワットへの長い石畳を渡り、いざ正門をくぐる。何世紀もかけて作られた四方を囲む壁画はいろんなエピソードが込められている。大きな石のその又上に大きな石を幾度も積み重ねた建築物。幾年もの年月を経て日光と雨風と修行僧がこの場所を訪れ、今もなお凛とそびえ立つそのたたずまいは人々に時を忘れさせる静寂さがあった。
しかし、ところどころに弾丸で打ちのめされた外壁には内線の傷跡が生々しく残っていた。
アンコールワットのまわりには当然のごとく屋台や土産屋が立ち並ぶ。目線をそちらに向けただけで、待ってましたとばかりに3、4人の物売りたちに囲まれる。オネーサン、イカガ? ブレスレット、ヤスイヨ! ガイドブックハ? ニホンゴ、アルヨ。3ドル!ヤスイ、ヤスイネ! ゴハン、アルヨ。イチバン オイシーネ。ブレルレットもガイドブックも要らん、要らんと手を振っていた私たちだったが、『ゴハン』という言葉には敏感に反応し、調子良くその人の背中について行くのだった。4人ものニホンジン御一行をレストランにおびき寄せた彼女はまるで鬼の首をとったかのように胸を張って歩いていく。頼もしそうに私たちの手を引くその人の顔をよくよくみると12歳くらいの少女だった。でもにっこり笑顔はやはり少女の笑顔。カンボジアの人の笑顔は大人も子供も素晴らしかった。はにかんで、あどけなくて、混じりけの無い笑顔だった。
テキパキと注文をとって一段落するとまたもや、『ブレスレット,どお?』『ガイドブックは?』が始まる。
『ゴメンネ。まだ、ブレスレットもガイドブックも必要ないんだけど。』
姉がダメなら今度は弟が来る。私の旅友、P子の隣に方ヒジついて語りかける。
『ねえ、どこから来たの?』
動物や子供には優しい彼女の性質を素早く嗅ぎ取り、どうやら最初からp子に目星をつけていたらしい。
『えっ?ヴァーモント?それってワシントンDCの近く?ボク、DCならどこにあるか知ってるよ。』『カンボジアは初めて?』『どれくらいステイするの?』
多めにみても6歳を超えない彼だが大のおとなを相手に口説き文句も手慣れたもんである。
『オーケー、1ドルでいいよ。10枚のハガキ。あんただったら1ドルにしてあげるよ。』
そうしてあげるよ、おねえさん。知らぬ仲じゃないんだし。という感じに、P子をたじたじにしてしまう。
カンボジアのこどもはたくましい。
誰に教わっているのか、彼らは英語、フランス語、日本語、中国語などの外国語を巧みに使い分けている。見ていておもしろかったのが、カンボジアのこどもが中国人のこどもと交渉している時だった。お互いに距離を保って大きな声で交渉をしていた。もちろんお客の話す中国語でだ。あっち側のボスとこっち側のボスとでやり取りが行われ、数分後、『1ドルで2つの扇子』というところで話がついた。高いのか安いのか、果たしてその男の子に扇子なぞ本当に必要だったのかは別問題として、お互いに満足そうな笑みを浮かべていたので悪くない取引だったに違いない。
私はと言えば、あるお寺の近くで喉がからからになり、ペットボトルの水に2ドルも払った。えっ?2ドルもするの?と一瞬ためらったが、背に腹は変えられん。仕方なく何の交渉も無しに2ドル渡して水を受け取った。
まわりの誰もが口にはしなかったが、『ひょっ!すげえ!やるじゃん!』という脚光のまなざしが私に2ドルの水を売りつけた少女に注がれていた。
考えてもみれば日本のコンビニでも2ドルはしない水なのにうかつだったと反省したが、1ドルも2ドルも私にとっては大差ない。しかし、この人たちにとっては日本円バリューで5千円と1万円くらいの差があるのではないかと思うと悪い気はしなかった。カンボジアのこどもの多くが学校へ行きたくても行けず、こうやって毎日親と一緒に日がな物売りをしているのだ。私には甥っ子が3人いるが、皿洗いをしただけででかいツラをしている。是非とも彼らにカンボジアのこどもたちの姿をみせてやりたいと思った。
私はこの国の子たちがたとえ一生かけて
も手に入らぬだろうと思われる大金を親に出してもらい大学まで行った。しかしそこでは芸術や音楽、文学などノーテンキな事ばかりに浪費して実用的な事などいっさい習得していない。
広いトンレサップ湖のど真ん中でボートのエンジンが止まった時も15歳の船長は動揺したそぶりなどみじんも見せず、冷静な態度で処置した。しかもドライバーやレンチなど『便利な道具』が無くても皮のスリッパ一つで見事エンジンを再起動させた。
もし自分に子供があったならばカンボジアの寺子屋に修行に出すのも悪くないかも、と思う旅であった。
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