人形に負けたとおもった。
なんという色っぽさ!
人形なのにこんな演技をしてもいいのか?
文楽のことである。
先日知り合いに誘われて生まれてはじめて文楽を観に行った。
自分はセクシーさを武器に生きている女ではないことはどっからみても一目瞭然だし、別に人形と張り合っても意味もないのだが、心底、文楽の人形たちの色っぽさには素直に参りました、とおもえた。
同じ女であることが恥ずかしい、とさえ感じた。
これはいつか新宿二丁目のオカマバーに行った時の経験と似ている。
女装した奇麗な元男児たちが(オネエマンというのでしょうか?)男の臭いなどひとかけらも見せず、女として振る舞ってくれた。仕草といい、身のこなし方といい、女よりも女、というか女のパーフェクトぶりに心底すごい!とおもった。これぞ、プロのなす技!とおもった。
えっ?あの人も元はオトコノコだったの?と自分の目を疑うくらいにだまされまくっていた。そしてそれ以来、数日間電車の中であらゆる女性をじっと観察してはうーん、ホンモノの女性はまったく色気がない、、、と思ってはあの夜のショックをひしひしと改めて感じるのであった。
それにしてもなぜ男なのにこんなにも色っぽい女ぶりが発揮できるのか?
ちょっとした腰の動かし方、指先の微妙な動きまで、怖い程に女臭い。
そして芸の達者な人形遣い程素知らぬ顔してそのような動きを小学生低学年くらいの大きさの人形たちにさせていらっしゃるのがまたコワい。
相当女を知り尽くしていないと表現したくとも表せない動きだとおもう。
私にとってはじめての文楽で全てが興味深い経験だったが、黒子(人形遣いの主役の他に人形の右手と脚の動きを担当する人が二人いる)は黒い姿だとかえって目立ってしまうのではないかとおもった。人形が3人も登場するとなると全部で9人もの人形遣いが存在するわけで、すなわち6人もの黒子がごちゃごちゃといるわけである。せめてグレーかベージュくらいだとうまく周りとカモフラージュできるのでは?とおもった。それとも密かに存在感を出す様にわざと黒なんでしょうか?そこはフシギ。
それと三味線もぐっときた。やっぱり日本人のDNAが自分の中にもあるのだと実感した。
どっびゃーん、と低音でうなるような音には特にぐっときた。
まだまだ若い芸人も多かった。
でもこの人、ぜったい三味線やるまえにロックバンドでベースギター弾いてたんだろうな、と思える人もいた。思い込みかもしれませんが。
とにかくおもしろい経験だった。
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