“おぉ、ダイナミックね!”
日本語ではダイナミックという言葉が必ずしも褒め言葉ではないという事にようやくPも気付いてきた。
私が料理をするときに母がいつも使う言葉をPも最近真似して口にしている。
野菜をざくざく切る、ガガっといためる、じゃーんと器に盛る!
まさしく『俺の料理』。
とにかくお腹が減っていて、しかも熱いものは熱いうちに食べたいから、手際はいいのだけど、英語的な表現だと『陶器屋さんに入り込んだ闘牛』のような人間なので、繊細さというものがいまいち欠けている。
母の盛りつけはとても美しい。
母の料理を見るといつもそう思う。
同じお漬け物でも、切り方や盛りつけで味は全然違ってくる。
真似してやってみるけど、それがなかなか難しい。
日本料理の盛りつけは器とのバランスが重要になってくる。
『余白』を大事にする文化は食文化にも現れているなあとおもう。
ただ、おかずを乗せればいい、のではなく、器とのバランスでこんもりとした盛り方もあれば、彩りも考えなければならないし、切り方や器の選び方でもお料理の表情はごろっとかわってくる。
ダイナミックと同じ言葉でアーティスティックという言葉もまたうちでは褒め言葉として使われない。
あまり意図的なものは興醒めしてしまう。
自然にすうっと心にはいって気持ちのよいもの。
それは、自然そのものにあまり手を加えていないようで、実は細心の意をつかっているような気がする。
料理が美しく見えるようにするのは調理の仕方もそうだけど、『切り方』に大きく左右されると思う。たとえば、刺身を引くときに切り口が薄すぎると安っぽくなってしまい、逆に厚すぎたり身が広すぎたりすると野暮ったくなってしまう。それはほんの1mmで全然違う。障子の桟と似たような世界。
『美しいお茶室には普段の家の障子とは違う繊細さがある。ほんの何ミリかの違いなのに、きりっとした空間。京都のお茶室を見てさすがだと思った。』とよく母が言う。
日本人的要素がどこまで自分の中に入っているのだろう、と思う事がある。
あまり意図的にならずに細心の注意を払う。
これは闘牛にとってはかなりの難問である。
写真はPが作った鯛の昆布〆。もちろん魚をさばくところから。『昆布〆は昆布臭いとアウト!』味にうるさい家族から仕込まれて上手に作れるようになった。料理は不得手だったPも今では完璧に私より日本料理はうまくなった。
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